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愛で満たされている

 

 

 

あまりにも美しいお月さま。写真を撮ったらちょうど目が光っている大きな龍雲も。

 

空を見ていると自分の中にきれいな水が流れていくように浄化されていく。

思考のモヤモヤが消えて、心がすっと落ち着く。

 

風にそよぐ木々たちの輝く緑を見ていると、母なる大地の暖かさが身にしみて、励まされているようなそんな気持ちになる。

心細さが消えて、力が湧いてくる。

 

地球の生命の輝きにシンクロするとき、わたしたちも喜びで満たされている。

 

大変なことが起こった時に、もたらされている恩恵。

 

どこにも行けなくなったから、こんなにも自然の声に耳をすませ、輝きに心を寄せ、全身で感じることができた。

 

家族でいることの安心を取り戻した。

 

奪われたようで、与えられていることに気づく。

 

人生っていつもそうなんだね。

 

無くしたはずのところに、新しいものが訪れている。

それが、怒りとか恐怖の時もあるけれど、発見とか優しさとかだったりもする。

結局、わたしたちは何も無くすことなんてできないのだろう。

 

水が蒸発して大気になりまた雨になって戻るように。

雨が虹を運んでくるように。

形を変え所を変え、すべては循環し、いつもこの世界は満たされている。

 

わたしは、それを愛と呼ぶ。

みんなは、なんて呼ぶんだろう。

 

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大丈夫じゃなくても大丈夫

自分にとって想像もしていなかったような出来事が起こったり、堪え難い辛さを感じているときには、まさかそれが恩恵だなんて思いもしないし、神様を恨む気持ちでいっぱいになったりもする。

実際に私も何度もそうなったから、その苦しさ、誰にも助けてもらえないような孤独感と絶望は本当に恐ろしいものだと知っている。

でもそんな時間を何度も潜ってきたからこそ、今更に深く感じることがあって。

 

やっぱり、どんな出来事も必ず自分へのギフトであるってこと。

何が起きても人生の旅は順調に進んでるってこと。

 

でも現実を生きている今の自分には大抵、自分がどこに辿り着くのかはわからない。

辛い状況で悪いことが起こっているだけだと思っている時には、余計に先なんて見えないし。

もしどうにかその苦しさから抜け出したとしても、自分にとって「安定している時」「成功した時」なんかの「いい時間」を失くさないように、本当は安定している時でさえ、どこかで怯えながら暮らすだろう。

 

結局、そんなパターンの中で生きている時って、努力とは裏腹に、「いい時」を堪能して心から幸せを感じている時間って案外短いのかもしれない。

そしてまさに今の状況みたいに、また自分ではどうしようも出来ないようなことがいつか必ず訪れる。

 

だから、もし辛い時、不安に押しつぶされてしまいそうな時、そんな出来事を「悪い」と決めていることの方を少し疑ってみるのがすごく大事だと思うんだ。

「もしすべてがギフトだとしたら??」

自分が求めていた幸せや安定とはかけ離れてしまったその時間が、わたしたちが今まで描いていた幸せの可能性をぐんとあげているのかもしれない。

今体験していることで、今まで気づけなかった幸せを照らせるかもしれない。

本当に自分が怖かったことは何だろう?って考えてみるチャンスをもらって、自分が望む方へと進んでいく道標を得たのかもしれない。

そんな風に。

 

そんなことを全部ひっくるめたギフトをもらい続けているわたしたちはみんな、真の意味では豊かになるしかないって、わたしはそう思う。

 

ポジティブとかネガティブとかそう言うことじゃない。発想の転換とかでもない。難しいことは何もない。

強くなる必要もないし、何も自分を変える必要もない。

自分に起こる体験に「いい」「悪い」をつけてることに気づくだけでいい。

いい悪いという正解を探し続けなくていいってこと。

 

現実には繰り返しいろんな出来事が起こってくるけど、もし、いい、悪い、のジャッジメントの色メガネを外してみれば、本当にただただ完璧に織り成されたカラフルな世界が見えてくる。

 

わたしたちが体験していることはすべてギフトだって感じたなら、深い感謝とともに、無くしようのない愛の中にあると気づく。

 

だから大丈夫。

大丈夫じゃなくても大丈夫。

 

辛い時は、とりあえず、深呼吸して空を見上げるのもいい。

お茶飲んでぼーっとしてみるのもいい。

少し想像してみる、空から見たら今のわたしはどんな風?

今のわたしは何を体験しているんだろう、どんな新しいことを知ろうとしているんだろう?

そうして少し深刻さから抜けたなら、自分の中に前には知らなかった感情や体験が加わっていることに気づくかもしれない。

少し前よりも、深く自分自身と関わって向き合っているこの時間に、自分が得たことに気づくかもしれない。

 

もしすべてがギフトだとしたら?

 

 

 

 

 

 

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完璧に織り成された世界で

今日は優大の9回目の命日。

優大と過ごした10年間は、彼のいる明日が来ることが全然当たり前ではない毎日だった。

だから一日一日が奇跡だった。

その温もりに触れていられることの幸福を嫌という程感じながら、愛しんで慈しんで我が子に触れて抱きしめた。

笑顔や、穏やかな寝顔を見ること、一緒にお風呂に入ること、そんな些細なことにも感謝が溢れて心が愛でいっぱいになった。

あの日々は、私にとって心身共に苦しいことも山ほどあったけれど、本当に本当に、贈り物でしかなったと、今改めて思う。

そして9年前の今日、困難な身体から自由になった息子をただただ感謝で見送った。

 

どんな時も愛の中にあることを教えてくれた優大。

おかげで私は今この瞬間も愛に気づくことができる。

もう何も失いたくない。。

その苦しさの向こう側に一歩踏み出そう。

何もかもすべてのコントロールを超えて、完璧に織り成されたこの世界で、私といういのちを生きよう。

 

 

 

セッションのこと

新しいセッションのこと

さて、前回の続き。

私は2014年にシャンティハウスという活動を立ち上げた後、カウンセリングのセッションを少しやっていた。

会いに来てくださる方に自分がもともと持っている輝きを思い出してもらいたいという思いで、心を込めてお話しさせてもらっていた。

実際に、ある瞬間からキラキラとした輝きを取り戻すのに何度も立ち会うことができて、それはもう至福と言える時間だった。

セッション中は自然と思考のスイッチが切れていることが多く、直接お伝えはしないけれど、降りてくる情報をキャッチしながらお話しさせてもらっていた。

 

今の私がやりたいセッションは、そこの部分により集中したもので、それはある種のチャネラーとしてもお話しさせてもらうということ。

チャンネリングについて書いた記事はこれ

繋がっている先は宇宙のどこかで、笑、特定の流派?とか、神秘的な感じのするものでもなくて、宇宙のデータベースから情報をダウンロードする感じ。

だから、なんというか、物事の本質をうんと鳥の目、俯瞰で見ているような感じで。

そこから見ると、すべては完璧だし、すべては愛でしかない、ということがわかる。

 

一方で、日常を生きている私には沢山の困難や悩みや苦しさを経験して来た時間があり、楽になりたいと人一倍思ってきた。

だから、チャネリングといっても、人間として心を使いながら、宇宙からの俯瞰の目線も織り交ぜてお話しさせてもらうことができるのかもしれない。(昔から自分は宇宙人かもって思ってたけど、一応人間です、笑)

 

この地球に生まれてきた奇跡のような一つ一つのいのちを輝かせるための一粒の光の種をみんな持っている。

その種に光を当てて、養分をあげて、育てていく。

afterコロナの新しい風の吹いている世界に、いのちという愛の大地を耕して、この世界にたった一つしかない色とりどりの花を咲かせよう。

 

溢れる愛をもってスーパー鳥の目からズバッと言っちゃうかもしれないから、そこは覚悟を決めて来てもらえると、笑。

詳細は近日中にUPしたいと思います。

 

 

 

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優大とシャンティハウスと今の私、そしてこれから

「一人一人がありのまま輝く世界へ」

これが、最愛の息子が亡くなり、いてもたっても居られぬ思いでシャンティハウスを立ち上げた私の叶えたいものだった。

まずは、自分自身がそれを体現するために、活動を始めたのかもしれない。

あの時の私と今の私は随分違うけれど、自分の中から溢れてくる愛をこの世界にシェアしたい!という思いはずっと枯れることなく私の中に湧いている。

 

あれから6年の間に様々なことがあった。

シャンティハウスの活動を閉じてバンコクに引っ越してから、制御不能の絶不調に陥り何度も倒れたりして、死にたくなるくらい辛い時間もあったり、終わりの見えないパニック発作の沼にはまったりした。

駐在からギブアップした私は鎌倉の山の中に引っ越し、引きこもりの達人と化して月日が過ぎた。

今、コロナの騒ぎで普通ではない生活なのだけど、私にとっては今までとあまり変わっていないし、かつて私に訪れた試練たちと言ったら、、それはもう、今の状況の方がずっとずっと軽いので、時々落ち込みながらもなんとかやれている。

 

今週からtwitterで「優大とわたしたちの10年間の物語」を毎日一話ずつシェアしている。

もう直ぐ来る彼の命日と夫の誕生日に必ず行っている温泉旅行とお墓参りに今年は行けない。

そう寂しく思っていたら、ふと思いついたアイディアがそれだった。

 

物語の続きを生きている今、そんなこんなの6年の間に、何度も脱皮した私は随分と軽く柔らかく楽になり、私の見ている世界はますます優しくなり愛で溢れている。

こうすべき、のない世界は、私が何かに貢献することや、役立つという目的さえ、もう必要としていない。

 

ただ純粋に、愛の風になり、波になり、花になって、いつでもその様子を変え続けながら、いつでも愛でありたい、と願うだけ。

善悪も優劣も正誤もすべてのジャッジを超えた、ただありのままの愛、いのちの輝きに触れることを、私の魂が望んでやまない。

 

この世界には愛でないものも、愛でない瞬間もないのだけど、触れていることに気づいているかどうかで、人生は本当に大きく変わるのかもしれない。

大きな大きな変化の時代を生きている私たち。

魂が歓喜し震えるような体験を、これからの世界が叶えてくれるだろう。

望んでいることが鏡のように目に映るようになる。

もう始まっている。

 

そんなことを、満月の美しすぎる月を見上げて思う。

私も、あの夜空に浮かぶお月さまみたいに、心が休まるような、ほっとするような暖かな光でありたい。

暗闇でも遠くに見えている灯台のように、どんな時にも希望があることを伝えられるような光でありたい。

それも私が生まれる前に決めてきたことなんだろう。

 

優大を授かってからわかり始めて、亡くなる時にはっきり思い出して、それはまるでバトンみたいに優大から渡されたのだった。

いつもここにあるすべての愛に気づいて、目覚めて生きることは、なかなか難しくもあり、すぐに難しい現実という夢の中に入ってしまいがちだけど、今始まっている新しい世界では、それが簡単になる。

コロナ、というより、2020年に鳴り響いている目覚まし時計の音を聞いているような毎日だから。

本当に大切なもの、大切なことを思い出す時が来たよと。

 

騒がしすぎる外側の情報や、コントロールから離れて、自分の中の感覚を呼び覚まして、自分の心地よさを感じてみよう。

五感、六感で、感じることを忘れかけている私たちのお手本はこの地球の自然たち。そして子どもたち。

あるがまま、自分の心の声に争わず、自分と調和することが何よりも大切。

自分と調和する、自分と愛し合う、それがこの世界のすべてのいのちを輝かせる一番の方法だから。

 

これから、私にできることで、お伝えできるメッセージをシェアしていくことになりそうだ。

宇宙はスーパー鳥の目で、私たちを見ている。

そこからのメッセージを私はどうやら伝えるらしい。

そのことはまた次の記事で。

 

この愛よ、あなたに届け♡