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心ダダ漏れで!

 

 

今日は満月ですね。昨日もお月様がとても美しくて、ベッドに入る前にしばらく眺めていました。

心の隅々まで優しい光が浸透して、深く感謝する瞬間でした。

 

子育てをしている日常には、ただ静かに感謝をする隙間はあまり訪れません。

イライラして大きな声を出して怒った後に、あぁ疲れてますな、わたし、と気づくこともしばしば、笑。

子育てがなかったら、穏やかでいられるのに、怒らずに済むのに、とたまにモヤモヤすることもあります。

そんな時には決まって、自分がどれだけ子どもたちのことが大好きで、彼らから沢山の恩恵をもらっているかに思い至り、思考は終了、笑、残るのは深い感謝。

前回の記事で書いたように、パズルのピースが完璧な絵を描きながらパタパタと収まって行くかのように、私は子どもたちへの愛を確認するために、イライラしてみているのかもしれません。

何が大事?何を大切にしたい?どう生きたいの?と問いかけるために。

 

それにしても、たまに、家事や子どものお世話をしている最中に、自然と目が閉じきてしまい、もう立っているのも嫌というくらい疲れてしまうことがあります。

やりたくないことをやっている時の消耗が半端ない。。

それもまた、自分に最適なバランスを教えてくれているのですよね。

最近は、そういう時には、全部中断して休むことにしています。

深呼吸して気分を緩めたり、うたた寝したり、お菓子を食べたり、笑。

そうすると、気づくとみんなでなんか笑ってたりする。

 

試練が訪れ、そこからどんな素晴らしい学びや達成があろうとも、人生自体は修行なんかじゃないのです。

命は、そのすべてを味わい楽しむために贈られた宝物。

あと1週間の命と言われたら?私は間違いなく、家族で温泉に行きます、笑。

そして大切な人たちみんなに愛と感謝を伝えて死ぬ。

世界を救いに行かないし、何かの大作を制作もしないし、豪遊もしない。

私がこの人生で最後にしたいのは結局、心からホッとして、くつろいで、愛でいることなんだな〜と思うと、ただ、素直にすべてを感じて、わたしであることだけで100点の人生なのですよね。

そして、もしあと1週間の命でなくとも、私はもう今ここで何の気負いもなくすっかりくつろぎ、ワクワクに心を踊らせ、魂を震わせて、生きていることを思い切り、惜しみなく味わい尽くしたい。

何も隠さなくていい、心のままに、そう、心ダダ漏れでキラキラの飛沫を撒き散らして命のダンスを踊る!笑、そんなイメージ。(どんな?!)

 

美しいこの星、地球に生まれてよかったなぁと思う満月の夜に、心から感謝。

愛を込めて。

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奇跡的な調和

 

 

晴れた日曜日、白い砂浜を求めて佐島の海まで出かけました。

沢山の色とりどりの貝殻が敷き詰められた砂浜がとても美しくて、水に足を入れて砂を眺めていると、なぜか懐かしいような愛おしさを感じたのでした。

調和、そんな言葉が浮かびました。

 

ブログで時々、私たちは一人一人が完璧な形をしたパズルのピースだと書いています。

最近、このことを考えていて、深く感じたことがありました。

 

この世界はどのピースが一つかけても出来上がらない、だから私たちはかけがえのない存在。

そして同時に、私たち一人一人もまた、様々な要素の小さいパズルのピースでできているんだなぁと。

私の中のこのピースがあるからその横にあのピースがあって、一つかけたら私ではないのです。

性格だったら、繊細だから怖がりだし、真面目だから厳しいし、変わってるから寛容だったり、笑。

経験だったら、苦しんだから願いが生まれた、迷ったから見つけたことがあった、愛したから失ったものもあったし、失っても愛はなくならないことを知れた、どれ一つがかけても、今のわたしはない。

そして、私が生まれたとき、私が泣いたとき、苦しんだとき、愛したとき、産み出したとき、願ったとき、どの瞬間にもそこには私以外のピースも一緒に存在してくれていた。

 

そう、この世界がそうであるように、私がわたしであることは、本当に奇跡的な調和でできている。

 

自分自身のすべてのピースを許すもなにも、私はこんなにも素晴らしい存在だった。

 

そう思ったら、涙が溢れて、ただ感謝するばかりでした。

人間だから、もちろん、自分の感情や考えや性格や容姿や、人生に起こる出来事、コントロールしたいと思ってもできなくて嫌になるときもある。

でも、この世界には調和しかない。一つ一つの奇跡でできている。

だから自分の中の大切な何かを奪われることなんて起こらないし、すべてが贈り物なのです。

 

生きるのには時に勇気がいるけれど、あなたがいるから、私は生きていける。

愛しきこの世界にありがとう。

 

あなたに愛を込めて。

 

 

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自分への許し

 

今日の夕空も暖かく美しい。ベランダに出て眺めると、大好きな富士山の横に虹が。

自分の中の変わっている部分、尖っている部分、黒い部分、自分ではそう思っている部分はずっと見せたくなかったけれど、それをここで書いた後に、「そんな私が大好きだよ」というメールをくれた友達がいました。

すごくあったかくて嬉しかった。

そして自分の中では、想像していなかった変化がありました。

それは自分の内側に対する許し。自分という存在に対する許しです。

過去、うまくやれなかった自分、批判されたり責められたりした記憶、わかってもらえないというジレンマや、そんなものたちを、とても優しく受け入れる私がいました。

辛かったよね、そうだよね、という言葉かけは、自分にはいつもなかなかできなかった。

完璧になれないことへの罪悪感はいつもつきまとっていました。

それが、気づくととても軽くなっていました。あの時の私、どの時の私も、もう消したい記憶ではなくなっていました。

本当に驚くのは、身体の不調がとても軽くなってきたこと。

慢性的な痛みや、むくみや、強張りがどんどんほどけているんです。不思議です〜。

もう随分と自分が変わったと思っていたけれど、きっとまだまだこれから、笑。

新しい自分に新しい世界にどんどん変わっていっている実感に、ワクワクと深い幸せが絶え間なく湧いてきます。

 

今日も、読んでくれること、この繋がりに、ありがとうございます。

愛を込めて。

*6月よりプライベートセッションを再開します。詳しくはこちらから。セッション可能日、随時更新しています。

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夢がカタチになるとき

 

本を出版したいと思ったのは、優大が亡くなってから割とすぐでした。

最初は、ただ優大の一生を残しておきたくて。

でも段々と、この話の持つ意味や、私の生きていく方向が定まってくるにつれ、この本が流通して書店に並んでいることを鮮明にイメージするようになってきました。

そんな時に、雑誌VERYのライターさんから取材依頼をいただいて、ブログの文章や聞き取りをもとに「家族のコトバ」というコーナーの中で優大と私たちのことが記事になりました。

その他にも、これまでいくつかの大手出版社さんとの間で出版の話が決まりかけてきたのですが、そのタイミングでは形にはなりませんでした。

ならばまずはネットで発表してみようということで、夫婦それぞれの視点から自分たちで文章にまとめたものが、「優大とわたしたちの10年間の物語」です。

書籍程の分量のある文章ですが、当時、反響はとても大きく、その後も特に宣伝をしなくてもブログを訪れて読んでくださる方は絶えず、今までに本当に沢山の方に読んでいただいてきました。

優大の一生を通して私たち夫婦が葛藤したり苦しんだり、そして喜び感動し人生が大きく変わっていく様は、美談という言葉は似合いません。

とっても生々しくて、時々可笑しくて、ただここに与えられた生への挑戦と愛に溢れた10年間の日常の記録なのです。

だから読んで下さったどなたの心にも、どこかで引っかかりや、シンクロや、涙や笑いが起こってくれるのだと思います。

これが本になった時には、さらに、色々な状況の中でもがき生きている人たちに、何か少しの勇気やヒントや愛を届けることができると思っています。

今新しく具体的な話は何も進んでいませんが、きっと近いうちに本になる、となぜか私は思っています、笑。

その時は、ブログを読んでくださる大切な方々に一目散にお知らせしますね♡

 

今日はとてもパワフルな新月ですって!私もそう感じています。

あなたの夢はなんですか?ぜひ書いて見て下さいね。

 

今日もありがとうございます。

愛を込めて。

 

 

 

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幸せに変換される!

今日は、買い物行くならお留守番したい、という子ども達の言葉にしめしめとばかりに、一人ぶらっと出てきました。

街はどこも母の日一色で、そういえば私の母の日は?と少し寂しくなってきたのですが、ブラブラとお店を見ているうちに、あ!今日のこの時間が何よりものプレゼントじゃな〜い♡と気づいた私でした、笑。

用事を済ませた後に、洋服をチラ見し、書店を一巡りし、サクッとお茶をして、急ぎながらも十分に一人時間を堪能しました。

母さん一人なので週末になると疲れてイライラしてくるのもどこかへ行ってしまいました。

子ども達に感謝、感謝の母の日前夜祭、笑。

 

最近よく思うのです。私の中の、幸せは日々増しているなぁと。

普通のことも、へこむような出来事も、特別な喜びも何もかもが「幸せ」に変換されていきます。

今ここの私たちの感覚一つで、世界はどんな風にも変わるのです。

そうやって、今を起点に未来も過去もお互いに影響しあって変化していることを感じると、とてつもなく自由です。

 

人生の中の、世界が灰色になる程のどん底の時期、うずくまってひたすら耐えているような時期も超えて、私の季節は巡り続けています。

子どもを失うという最大の悲しみも、もがきながら生きてきた時間とともに、最大の幸せへと変換されました。

生きていることへの、身体があることへの、出会えることへの感謝が溢れてきたときに、最高の幸せをもらい続けていることに気づいたから。

そしてね、そんな芯からの深い気づきがあると、幸せだと思おうという必要がなくなり、自動変換に変わるのです。

あれです、シワシワの高齢のおばあちゃまが常に手を合わせて言うあれ、「有り難や、有難や〜」というあの感じです、笑。

 

だから今は、不平不満を吐いた後にクスッと笑えたりします。

あぁ生きてるな〜と感じるのです。あぁ幸せだな〜と。

 

もちろん、プンプン、メソメソだけしてる時もいくらでもありますけどね、笑。

 

今日も私にあなたに、ありがとうございます。

愛を込めて。

 

*プライベートセッション再開します*

ご自分の中にある大切な声に気づいてあげることは、幸せであることへの第一歩。

今のあなたに必要なメッセージを受け取ったら、そこから新しく始まる道があります。

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