
あなたのそばにわたしはいます
いますぐにあなたの元に駆けつけ
あなたを抱きしめよう
あなたの心に宿るその悲しみを
そっとそっと包み込みたい
あなたの悲しみも愛のなせる業
闇のないところに光は見えない
光を映す闇はスクリーン
あなたの中にそれらは共にある
喜びを知るからこそ悲しみを知る
悲しみはまた新しい希望を連れてくる
あなたのそばにわたしはいます
愛をいつも贈っています

あなたのそばにわたしはいます
いますぐにあなたの元に駆けつけ
あなたを抱きしめよう
あなたの心に宿るその悲しみを
そっとそっと包み込みたい
あなたの悲しみも愛のなせる業
闇のないところに光は見えない
光を映す闇はスクリーン
あなたの中にそれらは共にある
喜びを知るからこそ悲しみを知る
悲しみはまた新しい希望を連れてくる
あなたのそばにわたしはいます
愛をいつも贈っています

あなたには価値がある
その形がいびつであろうとも、整っていようとも
その内側が波立っていようとも、平静であろうとも
それに光が当たっていようとも、闇の中にあろうとも
価値は減ることも増えることもない
存在している、という絶対的な価値
あなたはなかなか信じることができないかもしれない
あなたには価値があると何度も言われたとしても
またすぐに忘れてしまうかもしれない
あなたの美しさを
あなたは美しい
美しさはすべてを含んでそのままであること
色とりどりに咲く花がそうであるように
空を自由に羽ばたく鳥がそうであるように
新緑の眩しさがそうであるように
よせてはかえす波がそうであるように
生まれたての赤ん坊がそうであるように
今に目を向けよう
今に心を置こう
あなたの美しさは今に宿る
過去でも未来でもない
あなたが唯一存在できるこの今に
あなたは完璧だ
あなたが今にあるとき
世界は美しさで満ちていることに、気付くだろう
すべては完璧であることに、驚くだろう
そしてあなたも、その一部であることに、震えるだろう
あなたには価値がある
そこにそうしてあるだけで、あなたは美しい
あなたは完璧な存在だ

夫が不在な時には当然私一人で家と子供のことをこなすわけですが、最近はそれをワンオペ育児とか言いますよね。
元々はコンビニなんかを一人で営業していることを言うらしい。
そう考えると、なるほどワンオペ育児が大変過ぎるなと想像しやすいですね。
どんなに考えて準備していても、育児って必ず思わぬことが発生するし、思うようにコントロールするのは本当に無理なので、一人でやっていると苦しくなったり、どこかで限界を感じるのも当たり前です。
でね、どうやったら楽にやれるかな〜と考えていたのだけど、そもそも育児を仕事のようにオペレーションしようとすること自体に無理があるな、と感じるので、いっそのこと、オペレーションしない、と決めてしまおうと思い立ったわけです、笑。
ワンオペというハードルをクリアするために、計画、準備、奮闘、要請、最後は懇願や怒り大爆発、、なんてことになる前に、苦笑、ハードルを設けなければ、クリアしなくてもいいわけですもんね。
そもそも、子供はそこにいてくれるだけでありがたい存在。
ただ健康で、ご機嫌でいてくれるだけでどれだけ助かるかを、子育てしているとしみじみ感じる瞬間があるのです。
そして「いうことを聞かない子は悪い子」ではないことは本当はよくわかっていて、「いうことを聞かない子がいると親が困る」だけなんです、笑。
大変になるから準備して努力して子供や状況をコントロールしようと必死にオペレーションした結果、子供が不機嫌、そして結局親も不機嫌、ってよくあるパターンだけども、笑、
逆に、親の期待通りに状況を動かそうとしない、言うことを聞かせようとしないと、子供って本当にご機嫌です。
そうすると実は、必要なお願いも素直に聞き入れてくれる率がぐっと上がります。
子育ての概念を段階的に緩めてきて、そんな経験するようになって、だったらもう私の小さなプライドを捨てて、良い親であろうとする戦いからまず私が降りてしまおう。
「育児はちゃんとやらなければいけない」という概念ももういらない。
子供と遊んで暮らそう〜♪とまでは思っていないけど、笑、オペレーションする義務なんてないわ〜♪と思うだけで私はとても楽になります。
そうは言っても育児はかなりの実労働がありますので、ママも疲れてんのよー!と怒りたい時には怒り、子供と一緒に笑いたい時には笑い、疲れたら寝たい時に寝る、、?!、笑。
昨日も夫不在、私は行事疲れでぐったりして寝ていたらお昼の時間をとっくに過ぎていたんです。
遊んでいる子供達に「お腹空いた〜」と言われた時には、休めて疲れが取れていて、良い気分でおにぎりを握ったりして子供たちともぐもぐ食べて幸せでした。
まだまだ山あり谷ありの子育てでしょうけれども、百害あって一利なしの「あなたのためにこんなに頑張ってんのにーーー!」という空回りの代わりに、自分の幸せのために頑張りたいなと思う今日この頃です、笑。
愛と感謝を込めて。

本日のsunset。空はいつも優しいね。
ここのところ、意識の変化がとても目まぐるしく起きている。
力が抜ける、心が緩む、フラットな心持ちへと変化が進む。
ただあるがまま、気づきが浮かんでは過ぎていくのを見ていると、「やらないといけないことなんて何もない。」その思いが深まってくる。
私たちはみんな思っているでしょ。
成長したい、自分を磨きたい、上達したい、上の立場に立ちたい、社長になりたい、いい親になりたい、子供を立派に育てたい、お金持ちになりたい、美しくなりたい、、とかとかね。
で、それを叶えた時に、どんな風に思う?
突き詰めていくと、多分ほとんどの人が「〜〜して、安心したい」だと思う。
でも、安心できるまで続ける様々な努力ややらなきゃいけないことは、決して終わらない。
なぜなら、その「自分以外の何かになろうとする」という欲求自体に最終ゴールがないから、ゴールテープを切ったと同時にまた走り出してしまう。
社長になったら、収益をあげないと、規模を広げないと、誰もが満足できるサービスを、、と次々に目標や課題は出てくるものだし
いい親になることや、魅力的な人になることにも終わりはないわけで。
大きな石を積み上げて積み上げて、必死で壊れない頑丈な城を作ってそこに住んだとしても、今度はそこを死守する戦いの始まりにすぎなかったり。
人生はそれが終わるまですべて過程に過ぎないのだ。
命の始まりは死へのカウントダウン。いつだってすべてはそこに同時に繋がりを持って存在している。
私たちは過程しか生きることができないんだよね。
で、いつ安心できるかというと、自分以外になろうとするのやーめたって思った時、笑。
どんな結果になっても自分を認めてあげよう、とすっかり開き直ってしまった時。
でもね、努力して今より成長すればそう思えるってわけじゃなくて、
失敗したからこそわかることもあるし、死にかけたからわかることもあるし、大きなものを失ったからわかることもある。
むしろ、そうなって初めてわかることがとても大きいのが人間だと思う。
大切なのはいつだって「心」だけ。安心、心が満たされていること。
やらなければいけないことを続けていると、いつか心がすり減って疲れてしまうのが当たり前。
この最終ゴールのないレースからいつ脱落する?怪我して倒れて強制終了になってから?
何者にもならなくても、私たちは完璧だ。
だから困難なレースでヘトヘトになる前に走るのをやめたっていい。
それをしていける時代がきているんだと感じる。
もう安心してもいいんだよ〜〜〜♡
そんな声が聞こえる。
もうすべて完璧だなと思って心から安心したら、何したい?
私は。。思う存分楽しみたいな。この地球を身体中で感じたい。命の隅々まで感動で震えるように生きたい!
そう思って生まれて来たんだなって感じる。
生きたい!ってなんて素敵な気持ちなんだろう。
この数年をかけての生まれ直しみたいな時間がそろそろ終わりそう。
今日も愛を込めて。
私の世界はわたしが創っている。
ならば、わたし以外には誰にも操作することができない。
同時に「私」にも操作することができない。
世界を創造している方の「わたし」には完璧な計画があり、「私」はただその世界を体験している。
ダメだと価値がないと嘆く時にも、最高に幸せだと歓喜する時にも、私は体験係としてただここにいる。
わたしは願いを聞き入れたり、罰を与えたり、ご褒美をくれたりもしない。
ただわかるようになる。それが叶うとか、何が必要だとか、それで何を得たのかとか、そういうことがクリアになる。
私は何も引き寄せてはいない。
ただ私の話す言葉が変わり、私に見える世界が変わり始めると、引き寄せが働いているように感じるのだ。
すべて順調に計画通りに人生は進んでいる。
何をなすかとか、どれほど他より優れているかとか、微塵も関係なく私も私の世界も完璧だ。
私は無力なのだろうか?
私は何のために生まれて来たのだろうか?
だから私はそう問いたくなる。
潜在的に知っているから。
わたしの壮大な遊びとも言えるその計画と、ここにいる私のことを。
何もやらなければいけないことはない。
やること以外はやれないし、起こることがすべてだ。
死ぬほどの苦痛や、気が狂いそうな恐怖が起こる時にも人生は完璧だ。
生まれて来た私たちはもうそれで完璧だ。
マイナスに向かいようのないこの命のシステムは、その命が消える時が最も豊かな状態なのだ。
この瞬間に、すべてがある。
私は何一つコントロールしていない。私は無力だ。
そして同時に私は完璧だ。私たちはみな完璧なのだ。