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出会いという宝物

 

 

バンコクで最初に住んだアパートの上の階に日本人のファミリーが住んでいました。

入居早々に凄まじいスコールで1階の我が家が浸水した日、子供たちを二階に避難させるべく、藁をもすがる思いで2階のそのファミリーに声を掛けさせてもらいました。

トイレも使えなくなっていたので、避難させてもらえてすごく助かったのに、水の引かない我が家におにぎりを差し入れに来てくれたりとっても親切にしていただいて、その日から仲良くさせてもらうようになりました。

それからしばらくして、お茶を飲みながらゆっくりお話しする機会があった時に、奥様が「中島家のこと実は前から知っていたんだよ!」と言ってくれたのです。

聞いてみると、日本で取材してもらった記事を読んでくれていて、私たちのこれまでの暮らしやこれからバンコクに来ることを知ってくれていたとか。

それからは、太陽のように眩しく美しい奥様である彼女とは色々なことを語り合ったり、慣れない生活を沢山手助けしてもらったり、優しい気持ちをいつももらって、、「あぁ神様は全部用意してくれているんだなぁ」と感じる出会いでした。

 

あれから紆余曲折。。さらに自宅を引っ越すこと3回目の今のお家でもそんなミラクルが起こったのです。

お隣さんはもうすぐお引越しされてしまうのだけど、ご挨拶に来てくださって突然「もしかして、お子さんにハンディがあられて、亡くなっていらっしゃいます?その経験を通じてお仕事をされていましたよね?旦那様は海外で離れて暮らされて、でもお仕事やめられたんですよね?」と。。笑。

バンコクでのあの日のことが蘇って、一人で笑ってしまった私でした。

その奥様もバンコクの友人と同じく、瞳がキラキラと輝く美しい女性で、すぐに色々と仲良くお話しさせてもらって、とても嬉しい出会いとなりました。

 

実はその他にも、たった1、2回程の取材記事を読んで下さっていた方と出会ったりする機会が何度もあります。

全く有名人でない私にそういう経験が待っていることを考えると不思議ですが、人生にはこういう宝物の箱が沢山用意されているのだなと今は感じます。

偶然なんて一つもなくて、出会える人はきっとすべてが必然で。

最近は、出会えて言葉を交わせたら、もうすぐに友達のような気がしてしまいます、笑。

出会ってくれてありがとう。ここで生きていてくれてありがとう。そんな気持ちであったかくなるのです。

 

生きていると本当に色々なことがあるけれど、、それでも一人の時なんてないのですよね。

いつでも私たちはそれぞれの場所で共に生きている。

出会えた大切な人たちの顔が浮かびます。そしてこれから出会える人たちにも思いを馳せます。

 

ブログで出会ってくれているあなたにも。

心より愛を込めて。

 

 

メッセージ

私は願います

 

今ここに、一瞬一瞬に生きていることに、気づいていられますように。

痛いとか、気持ち悪いとか、気持ちいいとか、美味しいとか、感じたままにその感覚に寄り添ってそこにいられますように。

そんな様々な感覚に理由をつけては、苦しいなとか、幸せだなとか、孤独だな、とか感じている私を、ただそのままに、うんうん、と肯定していられますように。

こうなろうとか、ああならなくちゃとか、思う私もまたそのままに許しておける優しい空間を持っていられますように。

それでもどうにも生きることに疲れた時には、、私が過去や未来や頭の中のすべての想像ではなく、今ここにしか生きていないことを、またそっと囁いて、安心をもたらすことができますように。

この世界にともにあるすべての存在が、いつでも私と繋がっていることを思い出せますように。

私はすべてであり、すべては私であることを思い出した時に、溢れてくる愛をせき止めることなく現わし続けられますように。

新月の日に願うこと。

愛を込めて。

 

 

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祈りの季節に

 

 

我が家に新しいクリマスツリーが仲間入りしました。

これから子どもたちが巣立って行くまで毎年出すことを想像しながら、娘とお気に入りのオーナメントを選びました。

ツリーはインテリアに馴染むことと長く使えるように考えて購入。

 

我が家の初代のツリーは、長男の優大がキラキラ光るものが大好きだったのでファイバーがカラフルに点灯するものでした。

感染症にかかり重症化しやすい優大にとっては、一冬を無事に乗り越えることは本当に大変でした。

だから、彼を授かってから、私にとっての冬は切実な「祈り」の季節でした。

そしてクリスマス、お正月を無事に過ごし、鶯の声を聞く季節を迎えられる時には、それまでの私が知らなかった大きく深い喜びと感謝に包まれたものでした。

 

グリーフワーク(大切な人を悼むこと)は本当に人それぞれの過程を経ると思います。

私の場合は、優大の誕生からの毎日が覚悟の連続だったこともあり、実際に亡くなった後には比較的早く受け入れたのかもしれません。

1年くらいかけて、お腹の底までしっかりと彼との別れを受け止めて、彼の人生への最高の感謝を抱いたと思います。

 

それでも、本当に大切な人との別れは、それを乗り越えて過ぎ去って行くものではなくて、自分の一部として、いつまでも変化し続けながら心にあり続けるものなのでしょう。

優大と過ごした祈りと感謝の季節は、彼が旅立って7回目の冬を迎えた今でも、どこか胸の中に「そばにいたい」という願いを呼び起こします。

だからずっとどこかで彼の姿のない家にツリーを出せずにいました。

今年のツリー、7年振りのツリーは、とても格別な思いで飾りました。

 

新しいこの家にはもう優大の面影なんてどこにもないのだけど、空と海を見ていると心はどこまでも暖かく繋がっていきます。

いつも一緒だと感じます。

今日の空は優しいかたちの柔らかい雲が沢山浮かんでいます。雲の合間から射す光は海を金色に染めています。

 

 

姿は見えないけれど共にいてくれる大切な人。

今触れ合うことができる大切な人。

そばにいてもいなくてもみんな愛で繋がっている。

祈りを超えて、ただただ感謝です。

 

あなたに愛を込めて。

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愛の中にある

 

 

外を見ると、今日も日の光を浴びて海がキラキラと光っています。

お日様の下で光を浴びているすべてのものが愛されているなぁと感じます。

私はそんな光景をみるととても幸せな気持ちになります。

 

ヨレヨレで帰国した昨年の12月からもうすぐ1年が経とうとしています。

この一年は本当に苦しい気持ちを抱えて過ごした日々でした。

幸せの中には苦しみも悩みも内包しているから、落ち込んでいる時にもどこかでは大丈夫と知っています。

それでも、人生から逃げ出したくなる、投げ出したくなる日はあって。

自分がなぜこんなにも繊細に生まれて来たのかを受け止めることができない気持ちになります。

どうして他の人みたいに普通に生きられないのかな。。とつい思っては、普通なんてないのに。。と思い直すのです、笑。

 

私の魂はいつでも経験を求めています。どの魂もそう。

経験に良いも悪いも善も悪もない。光と陰に見えるものも、同じ光の違うカタチであるだけ。

すべての経験は生きている証であるとともに、生きていく私たちの感じる心を耕すためのものかもしれません。

経験を得るほどに、人は一つ一つの出来事の真実、大切な部分をより感じるようになります。

なぜそれが起こったのか、今の自分がどういう状態なのか、自分がこれからどこに向かって歩むのかを知ったりもするのです。

だから、色んなことが起こって、もうダメだと思う日があっても、そんな私たちの心は、生まれた日から1日1日毎に耕されとても豊かになっていることは間違いないのですよね。

 

今年の経験が私にもたらしたものはきっと次の経験でわかることになるのでしょうが、

今の私の中で深まっているのは、やっぱり相変わらず「愛」です。

愛の中にすべてがあることを知るために、そしてお伝えするために、生まれて来たのかなぁと思ったりします。

 

元気な人も、落ち込んでいる人も、迷っている人も、みんな愛の中にあります。

私もあなたも人生は順調です。

泣きたい時は泣いて、文句言いたければ言う、笑いたくなったら笑って、また落ち込んだっていいんです。

鎌倉の山の上から「みんなそのままでいいよ〜〜〜」と声を大にして叫びたい、笑。

心から愛を込めて。

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新天地

 

 

新居からの朝焼け。とても久しぶりに朝日を見ました。

11月、結婚してから引っ越しすること11回目にして、そして家を買うこと3回目にして、苦笑、初めてもう引っ越しはしないだろうと思うお家に落ち着きました。

ご近所さんもまばらで、別荘利用の人も多い土地、静かな鎌倉の森の中に立つお家。

夫が独立することになり、なんだかんだと思いがけずまた家を購入することになって。最初に見にきた時の見晴らしの素晴らしさは格別でした。

家の周りの道はとっても細くて草木が生い茂り、建物は20年以上経っていてレッドシダー張りの外壁もすっかり色褪せて、中も決して綺麗な状態ではなかったのに、不思議ととてもしっくりとくる感じで、この家に住むことになる、と直感したのでした。

お家の中をあれこれ直して、やっと引っ越し完了。

ただいま片付けの真っ最中ですが、体調の波に逆らわず、ゆっくりゆっくり片付けています。

いつも1週間くらいですべて仕舞い終わる私にとって、ゆっくりやるのは落ち着かないことでもあるけど、海を見ながらぼーっとして癒されいるとあっという間に1日が終わっているという、笑。

11回の引っ越しの中で、3回の持ち家を振り返ると。。

1軒目のお家は東京で、新築のマンションでした。

長男の介護に便利な要素満載でインターホンでコンシェルジュサービスが利用でき、もちろんバリアフリー、敷地内に大きなホールや音楽室やカフェやスーパーもあるような素敵なマンションだった。

長男の優大が亡くなって住むのが辛くなり、お引っ越し。

2軒目のお家は鎌倉で、東京と比べるとグッと不便になったけれど、海と山に囲まれたとても環境の整った住宅地に三井ホームさんで新築。

全館空調や最新の設備つき、広い芝の庭があり、学校も徒歩5分だったし子供たちが育つにも最高のお家だった。

バンコクに行くことになり、お気に入りがゆえに貸すのが嫌だったのと、人生自体を少し身軽にしたくて売却。ローンがすごかった、笑。

そして3軒目は、森の中の築20年以上の小さい中古のお家。引っ越しトラックも入れなくて、壊れかけのバンみたいな車に積み替えてピストン輸送するという大変な引越しになったくらい。。

運転も虫も全く得意ではないし、コンビニもスーパーも簡単には歩いて行けない古いこのお家に住むことになるとは、結婚した頃にはまったく予想していませんでした。

でも、住んでみて、ここ数年で願っていたことが全部叶っていることを感じます。

海が見えること。緑があること。木の温もりのある家。自分の部屋から海を見ながら言葉を綴ること。

人生で本当に求めることがどんどん絞られてきたから、ここに住むことになったのでしょう。

とても久しぶりにPCを開く気になったことが、嬉しい。

書いている間にすっかり日が落ちました。

またボチボチ更新していきます。

愛を込めて。