新しいMacBookがやってきた。
新しい、というキーワードがしっくりくる今日この頃。
冒険の始まりはこんな気分かもしれない。
ドキドキ、ワクワクするよりも、落ち着いて安心している方がよかった今までの私。
正確にはこの20年間の私。
そうか、人生の半分くらいの間、私はずっと安心と守られることだけを願ってきた気がする。
高校生の時に友達と二人でアメリカのオレゴンにホームステイした。
そこで見る地平線はどこまでもどこまでも続いていて、初めてそんなに大きな空を眺めていると、心がぐんと伸びやかになりワクワクした。
ハワイやカリフォルニアやカンボジアやタイ、学生時代に行った国々からはいつもドキドキと刺激をもらった。
人生は旅のようなものだ。
実際の旅も、人生の旅路に似て、冒険と変化と発見に満ちている。
だから旅が大好きだった。
我が子の命の危機に直面した私は、一転して、どこにも行きたくない、飛行機に乗りたくない、家の中にいて、誰からも何からも脅かされない所で、守られていたい、と願うようになった。
本当に強烈な体験だった。
それから10年経ち、優大はしっかりいのちを全うして旅立った。
祝福すべき旅立ちを心からの感謝で見送った。
でも心の奥底では、我が子のいのちを守ることなんてできなかった私は、もうこれ以上何も奪われまいと、警戒を続けてたんだろうなぁと思う。
緊張の限界を迎えた私は、倒れた。駐在先で子どもたちを守ろうと悪戦苦闘してほっとした瞬間にバタッと。
それから、リラックスだけが私の仕事だっていうくらい、笑、いかに心地よくご自愛し安心して過ごすかを模索する日々がやってきた。
行動でごまかさず、ひたすら正直な気持ちと向き合い、方法を探してリラックスを求めた。
けれど、リラックスは求めても得られなかった。
緊張を解く様々な工夫も、結局、緊張をベースにしているから、同じ所でジタバタしているに過ぎなかった。
波がきて波間に揺れて、もうどうにもコントロールできないことを、身体の隅々まで理解し受け入れる、それが唯一の、リラックスだった。
そのままで、そのままで。
ただそのままのわたしでいること。
倒れてからの引きこもりの生活と、さらにこの3ヶ月にも渡る自粛生活は、ただシンプルな安心が何かを思い出させてくれた。
大切な人が元気でいてくれて、たわいもない、けれど平和に満ちた会話を交わし毎日を無事に過ごす。
限られた娯楽しかなくても、清浄な空気を吸い込んで、空や海を眺めて、深呼吸するだけで、心が満ち足りる。
リラックスは特別な何かではなくて、本当にどうでもいいような隙間の瞬間に絶えず沸いている。
それを何かの用事や目的や思考のあれこれで、かき消しているのは自分自身だ。
そこに気づくには、心の空白とスローに流れる時間が必要だったんだね。
お笑い見て大笑いしてる時の完全なるリラックスみたいにね、笑。
あれから20年を経て、わたしのもとにワクワクとドキドキを迎え入れる余白が生まれた。
安心の反対かと思えたワクワクドキドキは、リラックスして安心して初めて感じられるものだったなんてね。
でも以前のように、旅をしたり、遠くのものを見たりするよりも、いまここにある、とんでもないダイナミズムを感じたいと思っている。
鳥の目で見た、宇宙と地球とわたしとが重なる壮大ないのち全体のこと。
虫の目で見た、いのちの営みの愛おしさ。
触れたい、語りたい、繋がりたい。
読んでくれてありがとう♡
