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春ですね♪

 

 

春ですね♪

終わりと始まりの季節、いかがお過ごしですか?

 

 

引きこもりでも、やっぱり春には外に出たくなる。

山道をゆっくりゆっくり散歩してるだけでも、いのちにはとても栄養になる。

 

自然のままに、あるがままに、変わり続けることに抗うことなく在ること。

出て来た感情は、ただ感じることで役目を終えて流れていく。

感情も思考も湧いては消え、消えては湧いて、それが自然だから。

 

いのちはいつも美しく清々しく何にも汚れることもなくここに在る。

 

みんな愛おしい、愛そのもの。

 

長い文章がなかなか書けなくなっていて、ブログを更新していないのだけど、読みに来てくださる親愛なるあなたに、心から感謝です♡

 

Instagram で時々呟いてます。

 

 

 

 

 

 

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感じることが楽しい

 

新しい年が始まって、ますます楽しい♪時間を過ごしています。

 

すごく元気いっぱいになったとか、全然波立たなくなったとかではなくて、いろんな出来事や感情を含めた今までと変わらない世界が、ただ楽しく見えている感じ。

 

夫に、「最近、大声でよく笑うようになったね。」と言われて

それは自分でも感じていて、自分の笑い声にびっくりすることがあるから、笑。

 

全部を包み込んで、波一つ立たない湖のような心になりたいと切実に願ってきた時期が結構長くありました。

当時は、そんな神様みたいな人間になることが理想だと思っていたけれど、私はただ、怒りや恐怖や不安やそんな気持ちを感じるのが嫌だったんだな、と今になってわかります。

 

でもどんなに努力しても、嫌な感情だけを感じないようすることは無理でした。

表向きには穏やかにすることができても、いつも消化不良な感情で心の中がモヤモヤでいっぱいになっていました。

 

7年前にもらった優大からの大切なメッセージを胸に、自分をそのままにいさせてあげよう、自分の全てを許していこうと思い始めてから色々な変化が続きました。

 

一番出てきたのが怒りの感情でした。

 

最初は溜まっていた怒りを書いて整理し、消化する作業が続きました。

そうするうちに、怒った時に咄嗟にはっきり反論したり、怒りの言葉がそのまま出るようになったことは、私にとってはとても大きな変化でした。

 

ワッと怒りのエネルギーを発散した後は、とてもスッキリさっぱり、笑。

以前に比べて断然、嫌な気持ちを引きずらないことにびっくりでした。

 

すると、あんなに胸の中がモヤモヤしているのが普通だったのに、どんどんモヤモヤが消えて行きました。

感情は感じるためにあるのに、感じることから逃げて、心の中に溜めるから拗らせていただけだったんですよね。

 

嫌な感情だけをセーブすることはできません。

感情はとても自然なものだからです。あるものはある。湧くものは湧く。

それは海の波と同じで、正誤や善悪や美醜なんかの区別などまったくない。

 

嫌な感情を避けるには、湧いてきたものを感じるセンサー、感受性の感度を下げることしかできないのです。

 

毎日を生きるのが大変すぎて、感情を押し殺し、感受性を麻痺させて対応していた頃の私はそうでした。

どこかで喜びを増幅させていくことが怖かったのは、反対方向にも振り幅が増えるからでした。

喜んだ分だけ、悲しみ不安に戻ったときのショックが増して、とても苦しくなってしまうから、いっそのこともう何も感じたくなかった。

生きながら死んでいるような。。故障中の機械みたいな。。

 

優大が生まれる頃から、喜びと悲しみの振り幅が猛烈に大きくなったことで、私はパニック障害を発症してしまったけれど、それは私の感受性が再生していくための大切な過程だったのかもしれません。

 

感じること、それこそが生身のこの命を生きるということ。

そう気づかさせてもらうための。

 

そして今は、怒りや恐怖も含めたすべての感情、喜びや、笑いの感情も、以前よりも色鮮やかに、生々しく、強く実感するようになりました。

ありありと実感すると、どんな感情も軽くなり消化、昇華されていきます。

だからもう怖くない。。いいえ、怖いけど、大丈夫だと思える。

 

制限のない世界はいつでも心の中にあります。

 

好き!楽しい!の感情を沢山沢山感じて、私の世界をどんどん色鮮やかにしていきたい。

と、考えているだけで、ワクワクしてくる私です、笑。

 

 

 

 

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楽しむ!

 

 

2019年が始まりました。

 

2018年は私にとって、生まれてからずっと頑張ってきてくれた自分を優しく癒し、1年という長い時間をかけて、しっかりと命を養うような期間でした。

ずっと引きこもりで過ごしたそんな中でも、繋がってくれた皆さん、気にかけて下さった皆さん、本当にありがとうございました♡

 

昨年の1年というよりも、もしかして優大が旅立ってからの7年という時間を費やしてやってきたのが、自己犠牲と修行的な生き方からの完全な卒業だった気もしています。

 

私が我慢すれば済む、私が頑張って支えなければいけない、いつも助けることができる私でいないといけない、、そんな時代を終わりにして、

弱い私、ダメな私、何もできない私、そんな私を含めた「すべてのわたし」を知り、受け入れてきました。

理想の自分になるために、自分をコントロールしようとすることもやめました。

 

そして今、まるで新しい自分が生まれたかのような、笑。

 

気付いてみれば、私の中には自由な空白ができ、軽やかに動いていくことができそうな気がしています。

 

今年の私のテーマは「楽しむ!」です。

 

いきいきとした命の躍動を感じて、自分の中から愛のエネルギーがいっぱい溢れてくるように、どんどん楽しんでいこうと思います。

 

こんな気持ちになったの、ほんと初めてかも、笑。

 

 

ブログを読んでくださるあなたに、心からの感謝と愛を贈ります。

いつもありがとう♡♡♡

 

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楽しもう

 

 

何がわたしで、何がわたしではない?

 

わたしでないものなんてない

 

すべてがわたしだ

 

ただ、ここに、こうしてあることを

 

楽しもう

 

楽しもう

 

何かである必要なんてない

 

 

 

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ごめんなさい、ありがとう

 

ゆっくりと観察していると、私の気持ちは1日の中でもクルクルと変わる。

例えばある日、

穏やかな朝、気だるい午後、イライラの夕方、豊かな夜更け、、そんな風に。

新しい場所に移り、毎日空を見ていたら、

心はまるで、快晴の空にやがて雲が現れ、光がかげり、またお日様が顔を出して、夕暮れ時に優しい色に輝くのと同じなのだなぁと感じる。

 

それでも、空は変わりながら、それが空であることはずっと変わらない。

空はずっと空で、わたしもずっとわたしなのだ。

 

いつも同じ穏やかなハッピーな空であるべきだ!

そんなことを言うのが、ただ自分の都合だってことは誰でもわかるけど、

いつも穏やかなハッピーなわたしでいるべきだ!

と真面目に思ってしまうことは多い。

 

わたしをコントロールしようとしているのはいつも私で

それがどれほどわたしに窮屈で不自由な思いをさせているかに気付くのは難しい。

 

変わることが生きているということだ。

あるようにある。

それ以下でも以上でもない。

 

それでも、私は願う。

こうでなければならない、ああであって欲しい、と。

それもまた生きているということ。

 

でも、自分をそのままに自由に羽ばたかせてあげたい、と思うなら

誰が自分をコントロールしているかは、知る必要がある。

 

それは、環境でも他人でもなく、自分自身。

誰かの目が気になるのも自分、誰かを傷つける人になりたくないのも自分。

 

優しくありたい。穏やかでありたい。明るくありたい。強くありたい。

 

だから「わたしよ、本当の気持ちは隠しておきなさい、何が起こっても大丈夫でいなさい、嫌なことも何となくやり過ごしておきなさい、傷ついたことも我慢して飲み込みなさい。」と自分に命令しコントロールする。

 

泣きたいのに大丈夫な顔をして、怒っているのに理解しているように振る舞い、疲れているのに働かせて、やりたくないことに理由をつけやらせる。

 

これをずっと自分にやってきたかと気づいたときに、本当に本当に心から、わたしに「ごめんなさい」を言わずにいられなかった。

そりゃあ苦しかったでしょう、疲れたでしょう、体もおかしくなるのが当たり前だね。。

そして、もちろん、どの時の私も、他の誰も悪くない。

 

私にとってのこの数年は、それに心底気づくための時間だった。

自分をそれまでのように、我慢させ無理させてコントロールすることができなくなったのは、そう言うことだったんだね。

 

そしてこの1年はリハビリだった。

子供の頃から、そうやって自分自身に命令されることで、傷ついて力をなくした自分を癒すための。

暗い部屋で一人眠れない夜にも、声をあげて寂しい怖いと泣けなかった幼い私の人生は、こうしてちゃんと行き着くところに行き着いた。

 

自分の中心で、何かが大きく変わっていく音を聞いているような、そんな時間。

どんな日々が始まって、どんな風に自分が変わり続けて行くのだろう。

 

変わっていくこと、あらゆる自分があるがままにあることに祝福を。

 

満月の夜。2018年が後もう少しで終わろうとしている夜。

ありったけの愛で自分を包みたい。

わたしよありがとう。