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今ここで叶える

自分の人生が自分の心で変わると知ってから、私の人生は実際にどんどん変化していった。

全体の中の私、社会の中の私、家族の中の私、、

それまでの私は、常に何かの中での役割を担うことで自分の価値を決めてきた。

だから、そこから離れることは最初はすごく抵抗があって、何とも言えない心細さを感じた。

それでも、私がわたしであるために、後戻りはできなかった。

自分が繋がる先は、どこかの場所での役割ではなく、自分自身。

生きるのが辛くて、自分自身と繋がることをどこか逃げてきた子供時代があった。

寝たきりの長男の優大との日々を過ごす中で、私はありのままで生きること、自分の心が喜ぶ生き方を選ぶことを決めた。

このいのちを終えた時に、、ママも自分のいのちを悔いなく生き切ったよ!とそう胸を張って優大に再会するために、決めた。

それから、自分が心の底から幸せを感じて生きることのチャレンジが始まった。

すでにそこにある何かの地図やマニュアルを見て進むんじゃなくて、自分の心の羅針盤だけを頼りに進むことは本当に大冒険だ。

心の声を聞こうとしても、聞こえないから前が見えなくて何度も挫けても、また聞いて、聞けない自分を許すことも必要だった。

辛くなったら、愛しているよと自分に何度も何度も愛を送りながら、諦めたくなくて、自分の心で進むことを選んできた。

そうやって向き合うほどに、否定していた部分、弱い自分も、黒い自分も、迷ってる自分も、全部を好きになっていた。

何か理想的な自分になったからじゃなくて、自分が自分を好きだってこと、自分を大切にしたいという気持ちに蓋をしなくて良くなったから。

条件が揃ったら、自分を好きになれるんじゃなくて、今ここから自分を大切にすることを選ぶだけでよかったんだ。

人生って面白い。

何かの条件として越えなければいけない壁とか、そういう達成しなければいけないことの先には、また新たな条件しか待っていない。

今ここで、欲しいものを手にしてみることで、望みは叶う!ってことを私たちはなかなか思い出せないようになっているみたいだ。

だから、いつも今叶えていく。

広い空を見ることを、美味しいお茶を飲むことを、好きな人に会うことを、、自分が今望むことを叶えてあげる。

そうやって、ほんの数ミリの歩みでも、一歩ずつ、自分が自分を幸せにしていく。

いつの間にか、自分の世界が自分の心で変わることがお腹の底まで染み渡る。

波立つ時には、心細く不安に揺られていい。

自分の心の声を聞くための大切な時間なんだから。

今日も私は自分の胸に手を置いて、私に愛を伝える。

なかなかすっかり消えてはくれない不安と共にワクワクが確かにここにある。

いのちって終わるまでは本当に謎だらけで、だからこそ望みが生まれるんだよね。

我が愛しき人生。私の心の羅針盤は今日も愛の方を指している。

 

 

 

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自分のいのちひとつ持って

とても感情が波立つことがあった。感謝と気づきを胸に思ったことを少し。備忘録。

 

 

今私が、どんな出来事もギフトだと思うのは、私がそれから逃げずに向き合ってきたからだと思う。

感情を味わうこと。

苦しむこと。

もがくこと。

怖くても向き合うからこそ、見えてくる光がある。

自分の幸せは自分でつくることができる。

意識を変えるだけで、フォーカスを変えるだけで、人生の意味はどんどん変化することを知った。

この世界は自分の意識の中にある。優しさをいつでも見出すことができる。

 

向き合うことは怖いけど、苦しいこともあるけど、それ以上に、自分のいのちを大切に生きられないってことが、やっぱり私は嫌だ。

自分を大切にすることを忘れて生きたままならば、どんなに表面を取り繕っても、生まれてきてよかった、と心から思う瞬間はなかっただろう。

芯から満ち足りて、いのちの奥から「ありがとう」という言葉が自然と湧いてくるとき、

それは、自分が何かを得たからではなくて、ただ今、生きていることへの感謝だった。

 

 

幸せでいるために必要なことはたったひとつ、

自分が自分を幸せにする覚悟を

自分のいのちが喜ぶように生きる覚悟をするってこと。

 

 

どんな方法でもいい。どんなにかっこ悪くても、人から理解されなくても、躓きまくって死にそうになってもいい。

へなちょこで弱虫でも、波立って全く安定しないとしても、諦めない。

いのちだけ持って裸で生まれてきて、また何も持たずに光の粒に還っていく私たちは、何かを持つために生きてるわけじゃない。

たったひとつだけの、この自分のいのちを全うする。

始まった旅を終えるだけ。

とってもシンプルで、でも奇跡に満ち溢れたいのちの旅。

 

 

一人一人が自分のいのちが大好きで生まれてきてる。

自分を愛しているから私たちは生きている。

だから、幸せになっていい、幸せを感じて生きていい。

自分を自分が100%幸せにできる。

そして、もしそれができたら、間違いなく、平和でしかない。

私もその旅路の途中。

身体という器に心を乗せて、魂の舵取りで進む旅路。

 

ただ前を向いて、自分のいのちひとつ持って、私を生きよう。

 

 

 

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今日のメッセージレター♡7

季節は一気に夏へと向かっているようなお天気。

リラックスすることだけが私の仕事です、笑。

本当はみんないつでもそうなのかもしれません。

今日のメッセージがあなたの一粒の癒しの種になりますように。

 

***

 

幸せになるのに条件はいりません

あなたがそう決めた時

あなたがそう思えた時

もうここに幸せはやってきています

あなたの見る世界はあなたの頭の中にある

心の羅針盤を幸せの方へと合わせていきましょう

 

あなたに溢れる愛を込めて

 

 

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チャネリングって?

 

 

言葉が綴れないなぁと思っていたら、突然、激しく綴ってしまった前回の記事、笑。

考えてしまうと綴れない。そういうことだったみたいで。だから思ったことを短く綴るインスタだけは楽しく書けてたのかな。

あれで何かの蓋が外れたみたいで、毎日のように記事を書いては下書きにしまっています。UPはしないという、笑。

 

今日も、今まであまり詳しく書いてこなかったことを少し書いてみようと思います。

私は、チャネリングとか、自動書記とか言われる、降りてきた言葉を思考を通さずそのまま綴る、ということをします。

それは今思えば、幼い頃から頭の中でやっていたことだったんだけど、いつも、すごいことわかっちゃった、という感覚で、自分がすごいと思っていました、笑。

それが、8年前、死期の迫った長男の優大と不思議な頭の中の会話をしたことで、あれ、もしかして耳で聞こえない言葉も受け取ることができるの?と気付いたのでした。

映画になった、ニール・ドナルド・ウォルシュさんの「神との対話」を観たのですが、まさにあんな感じです。

話し声で聴こえてくるのを書き留めるのですが、速すぎて字にならず読み返そうとしてもほとんど読めないし、内容も翌日には忘れているんですが、エッセンスはしっかりと受け取って行きます。

自分の探求していた真実への疑問が次々に解明されて、自分の意識がバージョンアップして行くような感覚でした。

それから、聴こえる分だけ全部受け取っていたら、頭の中がうるさくなりすぎで疲れてしまったので、専門家の人に相談に行きました。

自分の聞きたいことだけ、聞きたい時に聞けばいいんだよ、と言ってもらい、あぁそうか、とホッとしたのでした。

チャネリングというだけあって、いつでもチャンネルを変えればいいだけのことでした。

私の場合は、ほとんど何かの特定の神様とかガイドとかにチャンネルを合わせることはありません。

ハイヤーセルフとも言われる、宇宙にいる大きな意識の自分自身と無線で話しているような感じ、、ってわかってもらえないかもしれない、、笑。もうどう思われてもいいや、苦笑。

とにかく、わりと普通の会話というか、とても自然なものなのです。

多分多くの赤ちゃん小さいお子さんが普通にしていることだと思います。

おかしなこと、不思議なこと、すごいことを言い出す子供さんって多いと思うのですが、それは浮かんできた言葉を話す時に、まだ常識や一般的な思考を挟んでないからだと思います。

 

自分なりのチャネリング方法がわかってからは、知りたいことを聴いて自動書記して納得したことなんかをまとめて、ブログや詩やメルマガの記事にアップして行きました。

優大からのメッセージ「生きて」の内容も自動書記で原稿を書いたものです。

この自動書記の時の状態を簡単に言うと、思考のスイッチが切れて、聴こえる言葉と手が直結している感じです。

瞑想中やヨガをしている時の、ただ静かに浮かんでいるような、上から見ているような感覚で、手だけを動かして言葉を綴っていきます。

多分、スポーツ選手なんかがゾーンに入るという瞬間や、多くのアーティストの人が、意識、無意識に、創作中には同じような状態になっているのではないかなぁと思っています。

考えて何かをするのではなくて、考える前に何かをしている状態。

インスピレーションとか直感とか第六感とか、いろんな言い方があるのかな。

そして、私の場合は、書く時以外にセッションをさせてもらっている時にも、この状態になっていることも多いです。

 

ただ、ピースフルな心持ちの時にしかできないというか、心がかき乱されているような時には言葉を聞こうと思えないので、体調が悪くなってからは、自動書記をすることもぐっと減っていきました。

今年になり、穏やかな気持ちで自分に向き合える時間が増えてきて、短い言葉を綴ることがまた楽しくなってきました。

最近は、速く書く手をコントロールしながら、読めるように綴る練習をしたりなんかもしています。

海外では昔から、日本でも近年は、多くのチャネラーの方々が本を出版していますが、私も本を出してみたいなぁと思ったり。

子育て中のママさんや、思春期の子供たちや、普通に生活を送っている多くの方々に、特別にスピリチュアルなものではなくて、生きるヒントや癒しの種になるようなものが書きたいなぁと。

愛のメッセージを伝える、というのが多分私の仕事なので。

 

今まで、こんな自分の核となることも堂々と書けずに、なんとなくぼやかしてきたのは、自分が少しでも「社会の中の普通」の人間でありたかったから。

でも今は、私は「自分の普通」を生きようと思っています。

得意なことと、苦手なことがあっていい、ダメなとこもいいとこも、全部私にしか生きられないから。

 

あなたに、いっぱいの愛を込めて。ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

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よし、令和だ。

ここのところ、貧血から体調がまたガクッと悪くなり、気持ちも引きずられて落ちることが多かった。

平成から令和へと変わるちょうど数時間前、何でもないようなことで夫と口論になる。

体調の悪さと、積もっていた些細な不満が原因で。

一人になって、遅い夕食を食べていたら、抑えきれない気持ちが溢れてとてつもなく苦しくて、食事が飲み込めない。

お腹が空いているはずだけど、心の中が悲しみでいっぱいだ。

代わりに涙が後から後からあふれてきて、声を出して泣いていた。

もう嫌だ、どうして生まれてきたんだろう、こんなことなら。。と繰り返し湧いてくる。

今までも度々あったことだけど、思うのも憚られる気がして、いつもギュッと押し込めてきた気持ち。

家族が悲しむからこんなこと思うのもいけない、、

命の尊さも、その奇跡も知っているんだから、そんなこと思うわけにいかない、と。

でも、苦しんでいるのは私で、その気持ちを吐き出してあげないと、いつまでたっても、押し込めた感情が消化されることはなくて。

どうしようもなくて、ひとしきり泣いた後、少しだけ落ち着いてから、ふと天使のカードを引いてみる。

「やさしさ あなた自身に優しくしてください。」と天使さんは言っているみたいだ。

うん、、それをするために、私は苦しさの中にいるのかもしれない。

そう思って、とりあえず、大好きな熱いほうじ茶を淹れて草大福を食べてみる、笑。

食べてたらまた少し涙が出てくるけど、お餅がお腹に落ちていくのと同時に、何となくホッとした。

お風呂も億劫でメイクだけ落として、揺り椅子に揺られながら、令和へのカウントダウンを一人静かに見守る。

3、2、1、で平成はあっけなく終わってしまった。

この瞬間に、この出来事に、この人生に、どんな風に意味付けをし、どんな風に扱うかは、本当に自分次第だ。

ままならない日常が続くだけの人生か、それとも、必然の愛が起こり続けている人生か。

全部が入り混じっているこの世界では、自分で決めるしかないのだ。

いつか必ず死ぬときまでは生きているから、生きているなら、、

とことんまで愛して愛し抜いて生きよう。

弱くて泣き虫ですぐに故障する、それでも健気に何とか諦めずに生きている、そんな自分を抱きしめて生きよう。

それが私なんだから。

よし、令和だ。