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一人に一つの人生劇場

 

昨日ね、久しぶりに荒れて、子ども達に八つ当たりして、なんとも言えない気持ちでベッドに入った。

うちの子達はとても素直で、子どもらしい子どもというか、親に対して気遣いとかないタイプ、笑。

不安や恐怖でコントロールするのが一番簡単だけど、絶対に絶対にそれはやりたくないことで。

だから、私がそうあってほしいと望んで、そうなってもいいように接しているわけだけど、普通にイラっとしたり、すごく腹がたつこともある。

 

次男に対しては、理解不能な行動が多すぎるから昔は随分悩んだし、今でも、何回言っても直らない様々なことには腹がたつ。

昨日は、テスト前期間を=部活のない自由期間かのようにのびのび過ごす彼にイライラ、笑。

それでもいいし、なんでもいいとは頭で思い、しかし、後々彼が実力が出せなかった。。みたいに落ち込むことを想像しては、せめてできるだけのことはしておけよ!って言わずにいられない。

暴力や威圧ではないにしろ、言い聞かせることだって、母という権威を使った完全なるコントロールだとわかりながらも、言わずにいられない、笑。

でも、言った後、すごく嫌な気分になるんだよ。

親は子どもの人生全部の信頼だけでいいんだってわかってるのになぁ。

私がそれ以外の生き方をしたことないだけで、どんな道だって彼の道だもん。そう後悔する。

私が怖いだけ、彼が大切だからそれを手放せないだけ、でもそういう自分も愛そうと思ってはよしよしと自分を抱きしめる。

 

 

末っ子の娘に対してはもっとずっとシンプルで、長男から12歳も離れて生まれてきてくれて、もう孫のように可愛くてね、どこまで自由に育ってくれるかが楽しみでしかない。

でも、とにかく勝気で自分の思い通りに全て進めたいタイプの彼女は、なかなか手強い時もある。パパに激似、苦笑。

だから、私でも手を焼くくらい、感情爆発しちゃうときには、こっちも同じくらいの威力で言い返す。

そんな時に、いつも自分がすごく冷たい顔になるのがわかる。

どうしてそんなに自由に表現するの?っていう嫉妬が顔を出す。

私はできなかった。私はどんなに悲しくても声に出さなかった。なんであなたはそれをできるの?って小さい私が言ってる。

そしてまた、自分をよしよし、と抱きしめる。

 

 

子育てしてるとさ、自分の過去をなぞるような瞬間が沢山ある。

自分が育ち直しているような時間だなと思う。

自分の中にある解放されてない部分、癒されてない部分にスポットを当ててくれる。

 

 

母としてあるべき姿を模索していた時代には随分悩んだけど、今の悩みといえば、自分が自分の人生にどう向き合うか?だけ。

自分の人生劇場には、自分という絶対的な主役がいて、時に妻や母や友や子どもや様々な役の私が入れ替わり現れる。

演じる自分自身が変わるのと同時に、当然、母役としての私も自動的に変わっていく。

人生劇場を生きてる私たちにとって、どんな経験も役者としての幅を広げてくれてるわけだよね、笑。

 

人生は軽やかで、同時にとてつもなく重く、どうにでもなるもので、同時にどうにもならないものでもある。

陰陽の世界を生きている私たちは、自分がどっち側で生きるかを選んでいるだけ。

そして大抵は陰と陽を行ったり来たりしながら、次第にその全体性を知っていく。

 

母という役割は私にとって、ギフトでしかない、そして同時に足枷でもある。

どんなにポジティブになろうとも、悟りを開こうとも、人である限り陰陽から逃れることはない。

平安のストーリーを演じるか、苦悩のストーリーを演じるかもいつでも選んでいる。

最後にはどんな風に私はすべての役を知り尽くし、そして降りるのかな。

 

自分でしか演じられない一人に一つの人生劇場。

あの時のあの出会い、あの涙、あの幸福、全部、全部を経験できたこと、役者冥利に尽きます、、なんてね、笑。

でも本当に、ギフトだなって、奇跡だなって思う。

次にどんな幕が上がる?やっぱりまだまだ舞台から降りられないね。

 

 

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今ここの望みを叶える、ある日の私

 

代休の子ども達が朝からワーワーしていた月曜日。

私は、一人になりたい、自由に動きたい、という欲求を押し殺していたために、すごく機嫌が悪かったみたいで、でもなかなかその理由に気付けなかった。

だから、自分の心に、何が無理していることなのか?我慢していることなのか?って聞いて、素直にしたくないことをしないこと、を自分に許してみた。

送り迎えが必要な習い事をキャンセルし、文句言われながらも外出の予定も変更し、遊んでー!の要求を百万回拒否し、笑、これ以上自分が不機嫌にならないようにしてみる。

そして大雨の中、一人で車に乗り近所のスーパーに行っただけで、すごく楽になって、目から鱗な感じで、笑。

このままお気に入りのお店まで車を走らせたら最高だな、と妄想するだけでも、心がふわっと開けて、行かなくても気分が全然違うから不思議なものだよね。

 

そうやって、どうやったら自分の人生の主役である大切なこのわたしちゃん、笑、をご機嫌にできるかを考えることが、今一番私に必要なこと。

母親なら当然こうする、という誰かが決めた常識をかなぐり捨てて、私ってダメな親だね、と思いつつも勇気を持ってそうする。

すると自分を取り戻して機嫌がよくなった母は、喜んでご飯を作り、子ども達との遊びも楽しく付き合うこともできて。

 

こんな些細なこと、(でも自分にとっては勇気のいること)、を重ねて行くことが、自分の心をまっすぐに生きることに繋がっているんだろうなって。

今ここの望みを叶えることは、地道な作業だけど、いつからでもできる幸せへの最短ルートだと思う。

なんというか、億万長者になる!を今叶えることはできないけど、億万長者ならこんなことする!を妄想することから始めてみるとか、笑、何の制約もなく自由に生きたいなら、今自由時間を5分でもとってみるとかね。

だってそれをしている間、すごく楽しいはずだし、今の自分が一番気分が良くなる方法だと思うから。

 

そんで一番大切なのは、自分の望みを知るために、自分と対話し続けるってことだよね。

でも実はそれがとても難しいってことは、よくよく知っている。

だからこそ、愛をもって、優しさをもって、諦めずに自分に向き合おう。

今もきっとどこかでそうやって向き合ってるあなたにも、いっぱいの愛を贈ります♡ありがとう。

 

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私を生きてくれてありがとう♡

 

誰かのことを羨んだり、不快に思っては

そんな自分を責めてみたり

何かを正そうとしたり、変えなくちゃと思っては

そんな自分に疲れてみたり

 

うん、あるよね、笑

 

そういう時は、自分をハグしてあげるタイミング

だから優しく優しく自分を抱きしめて言葉をかけてあげよう

 

あなたはあなたでいいんだよ

怖くても、悲しくてもいいんだよ

愛したくてうまくできなくてもいいんだよ

大切なんだよね、うんうん

だから悩んだり、葛藤したりするのは当たり前なんだよ

 

あなたはどうしたい?

どう生きたい?

一番大切なものを大切にしていいんだよ

今のあなたが望むことを叶えてあげよう

どんなことでもいいんだよ

誰の許可もいらないから

 

大好きなあなたが喜びを感じるために

私は生きてる

いつも一緒に生きてくれて、ありがとう

一生懸命私を生きてくれて、ありがとう

 

ギュ〜〜〜、よしよし、なでなで、ラブ

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私=この世界

自分がどう生きたいか?なんで生きてるのか?

そう、四六時中、自分の内側だけにきいていられたら、心はいつでも全てを包んでいながら平安でいられるのかもしれない。

 

でもそれが難しいのが人間なんだろうな、笑。

どうしてって、私たちには自分の外側を情報収集する能力も備わっているから。

どんなにメディアや人間関係を限定的にしたとしても、常に五感で情報収集している。

余談だけど、私みたいに生き辛い人は、多分、情報収集しすぎるタイプの人なんじゃないかな。

 

自分と違う存在に対して、興味や疑問や違和感を持つのは本能とも言えるものなのだろう。

なぜなら他者を通してしか、自分を知ることができないから。

自分と同じ人間しかこの世にいなかったら、自分が何者かなんて永遠にわかることもできないもんね。

 

そして、その感じた違和感は度々、自分の存在を脅かすものに感じられたりする。

ここがミソだと思う。宇宙の仕掛けなんだろうか?

小さい子供が、ごくごく自然に、誰かと比べてどっちが可愛いか、どっちが愛されているか、と親に聞いてくるんだから、ほんとにもうデフォルトだと思う。

で、その不快感を解消するために、正誤や善悪や美醜や勝ち負けや、いろんな色メガネで世界を見ようとする。

 

でも結局最後にどうしてもやりたいことは、自分の見ている世界と自分自身を知って、やっぱりこれで、そのままの自分でよかったと思うこと。

全面的な肯定。

 

そして、自分が思っている自分なんかは、ほんの足の小指の先っぽくらいで、その全体性は、自分が見てまさに否定したり戦ったりしているその全てを含んだこの世界とイコールだって気づくこと。

色メガネを取ったら、クリアにありのまま見えるんだね。あ、そうだ、もともとメガネかけてなかったし、という気づき。

 

もしそれに気づいたなら、自分と違うものを否定したり戦うことにエネルギーを費やすのは、本当に徒労だと感じるだろう。

一つ言っておくと、人を否定してはいけないという観念さえもまた、ただのメガネでしかなく、そう思わないといけない理由などもない。

ただただ、「気づく」だけなのだ。

 

何かを完全にコントロールしようとしても、絶対にできないこの世界では、まず自分が自分自身とこの世界を認めきってしまうことからしか、心の平安は始まらない。

どこに住もうとも、何をしようとも、例えば最高の平安な環境を整えて一生座禅を組んだとしても、真の心の平安が訪れることはない。

 

そうなるともう、座禅でも麻雀でもなんでもいい「好きなことをして生きましょう!」人間界のキャッチフレーズはこれだけなんじゃないかな、笑。

自分を知って自分の好きなことを知って、心ゆくまで体験しよう。

そして自分を好きでいて、この世界の全部を好きになれた頃、世界は天国へと変化する。

その時、求めてた平安が訪れるのかもしれないし、平安なんて求めてなかったぜって気づくのかもしれないし、笑。

 

天国と色メガネで見る世界を行ったり来たりしてる私だからこそ、こうしてメッセージを発信しようと思うのだろう。

きっとそれが私の仕事なのかな。

 

今思うのは、いのちのある天国で何をしようかなってこと。

純粋に好きなことだけして生きる世界はどんなだろう。

もしかして、今とそう変わらないのかもしれない。

だって、好きなことのために、相変わらず泣いたり怒ったり、悩んだりするだろうからね、、笑。

 

でも一つ確実に変わっていくだろうと思うのは、情報収集自体がとっても便利なツールになっていくってこと。

自分が思う存分自分のいのちを体験するためには、それが本当に役に立つ。

生き辛くて、死にたくなっちゃう人も、情報収集、つまり感じる力が自分の特技だって知った頃には、俄然、生き生きし出しちゃうと思う。

 

軽やかで、でもみっちりした愛の世界を生き始めている今。

明日には濃いめの色メガネかけてるかもしれないけど、笑。

 

すべてに愛を込めて。

 

 

 

 

 

メッセージレター, 未分類

今日のメッセージレター♡8

少しお久しぶりのメッセージレターです。

私とあなたの心が少しでも柔らかい優しさに包まれますように。

 

***

 

握りしめているものを手放す

それは時に怖くもある

けれどそれは始まりを同時に迎えている証し

あなたがそうすることで世界はもっともっと輝きだす

今もし怖くて握りしめているものがあれば

自分の中にある喜びに注目してみてください

あなたが歩む方向

大切にしていくこと

その答えはいつもあなたの中にあるから

 

あなたをいつも応援しています。

 

心から愛を込めて