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味わい尽くす

 

いのちの声を聴いて

心と体が喜ぶように生きること

 

それは、

 

何度でも何度でも何度でも

感じて味わって

味わい尽くすということ。

 

堂々巡りなんて起こりえないから。

今の私で感じることは二度と

訪れはしないから。

 

そうやって生きていることが

もうすべての答えだと、

 

理解を超えて、

心と体で味わい尽くすだけ。

 

愛じゃないものなんて

どこにもないから

いのちの現れそのものが

愛だから。

 

大丈夫、

大丈夫。

 

苦しむこと、悩むことそれ自体が

豊かなことだと気づく時

世界は色を取り戻して

感謝が溢れてくる。

 

だから、大丈夫。

 

安心して苦しんで悩んで

そしていつか安心して安心する。

 

愛の中でしか生きることが

できない私たちだから。

 

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内観の記録

 

なかなか言葉にならない日々。でもぼちぼ〜ち生きています、笑。

今日は自分のための内観の記録です。

 

内側の色々な気持ちと向き合い、体調の波と向き合い、自分に優しくすること、寄り添い続けることがこんなにも難しいなんて、びっくりしてしまいます。

人に優しくする方がずっとずっと楽で、人を愛する方がずっとずっと実感があり、自分は透明であったらどんなにか楽なのに、、といつもの逃避癖が出てくるのでした、苦笑。

 

でも、もうそれを私の心と体は許してくれません。

自分の中の不調和、自分のありのままを生きないことを許してはくれないみたい。

そこからもう逃げないでと、メッセージを送ってくれています。

一回死んだつもりで生き直す、そんな気さえするのです。

 

怒り、恐怖、悲しみ、この感情をそのまま表すことができなかった子供時代。

親を傷つけたり心配させることをしてはいけない。

だから、我慢。2歳でも我慢。わがまま(本音)を言って泣くとかしたことがない。

次第にネガティブなことを感じてしまう自分自身を責めるようになります。

するとネガティブな気持ちは表現できないので、感じると辛くなる、だからだんだん感じること自体を鈍らせるんです。

怒りを感じないようにそのセンサーを鈍らせる。

このメカニズムってもしかして多くの精神疾患や自律神経失調症の方に多いのではないかな。。

 

それでも私は憎しみではなく愛で生きたかった。だからいつも自分の心の器を必死で広げて全部包み込んでしまおうとしてきました。

でも今思えば、私の器の大きさは最初から同じだったんです。

広げることなんてできないと知らなかった。

仮想の自分、つまり理想の自分を作りたかったけど、私にもすべての感情を表現することは当然必要だったわけです。

目に見えない器から溢れてしまった感情は、代わりに身体の不調になって溢れ現れてくれていたのですね。

 

後になって、あの時辛かった苦しかったと喚いても、ちっとも辛さは癒えませんでした。

誰かを責めても、安心することはないから、楽になんてならないんですよね。

そしていつしか私は自分を癒すことを諦めて生きていたのかもしれません。

愛に生きたいともがきながら、それはそのままであることだと知った後でさえ、ありのままに生きることをまっすぐ選ぶことができていませんでした。

 

愛はありのままをそっくりそのまま認め許しているということ。

苦しんだ末に、人生の全てから教えてもらったことです。

何より、いてくれるだけで愛そのものであった優大が、そのいのちのすべてを以て教え続けてくれました。

だから、もう逃げないで、と優大も言っていると感じます。

 

自分のいのちに寄り添い、いのちの本音を生きることは、それ以外の全部を手放すことかもしれません。

まるで運転中のハンドルから手を離すような、大事に抱えた宝箱から手を離すような。。

だから怖いし、逃げたいし、そこまで追求する必要ないと思うし、早く楽になりたい。

でももう私はその道を、、いえ、最初からその道を歩いている。

誰もがそうであるように、自分しか歩けないこの道を歩いている。。。

そしてきっと、手放すのは、何かをなくすことじゃなくて、握った手のひらを開いたら、そこには何もないってことを知ることなんだと思います。

握りしめようとしているものではなくて、握っている手、このいのちそのものより大切なものはないのだと。

 

しんどいなぁと思いながら生きる今も、愛はいつもここにあり、私はどんな時も愛でしかない。

波間に訪れる平安に宿る最高の愛おしさも感じる毎日です。

いつもありがとう。愛しています。

 

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自分に降参する

 

昨日、久しぶりに少し熱が出て身体がどうにもだるくてずっと寝て過ごしました。

体をじっくり感じているとすごく不思議なことが起きている気がしたんです。

わかっているようで、よくわかってあげられていなかった自分のこと。

 

身体がむくんでいて、気やリンパの流れが悪くなっているのもよくわかりました。

背中がバキバキで痛いとこだらけでした。

頭もパンパンになっていて触るだけで痛い。

自律神経が迷走しているのもよくわかりました、笑。

体温が上がったり下がったり、時々冷や汗が出たり、お腹が微妙に痛かったり、気分が悪くなったり、血圧も上下しているみたいでした。

 

自分でも呆れてしまうし、きっと聞いたら驚かれるかもしれませんが、タイに来てから、もし熱が出ていなければ、この状態でも私は日常生活を送っています。

すごく元気になることがないので、このくらいの不調で動けないと私は何もできない人になってしまうから。

人と話していて顔は笑っていても、うっすら冷や汗が出たり、食事しながら吐きそうになったりも普通です。。これは子供の頃からかな、苦笑。

そして今は突然、激しく倒れたり、苦笑、疲れがひどくて子どもに突然怒り出したりして。。

 

でね、昨日、そうやって身体を感じながら過去を振り返ると、熱が出ることで、自分の身体を守ってくれてたんだなってすごく実感したんです。

小学生から続いた数えきれない回数の高熱で、20歳くらいで溶連菌感染が血液にも広がって皮膚に紫斑と言ってあざが出てしまい、扁桃腺を取る手術をしました。

それから、熱は出なくなり楽になりました。

でもその頃から、別の症状が出はじめたんです。

血圧がコンロトールできないような感じで、意識が薄らいだり、パニックになったり、様々な不安神経症も出て。

今思えば、それは、熱を出すことで私の身体を休ませ、緊張をといてくれていたのができなくなって、出てきた症状だったのかもしれません。

 

心をすっかり解放しなければ、病気はなくならない。

 

そんなことをしみじみ感じた1日でした。

実は、私は熱を出すことでしかSOSを出せなかった自分を変えたかったんです。

無理しない自分になれるように、無理していた。。。がーん、笑。

だからいつも風邪をひきそうになっても、自分に熱を出すことを許してあげられなかった。

すると不思議なもので、大抵、熱は出ません。

だから頑張り続ける状態はどこまでも続いて行く。

そして昨日、熱を出してみて初めて、自分がどんな状態で生きているかに気づかされたんです。

どんなに自分に向き合って、どんどん許していっても、無くならない辛さは、これだったのかなと。

自分のすべてに降参してしまおうよってことなんだなと、笑。

 

愛で生きるには、自分が愛で満たされること。

それはもうこのままで愛されていると、心底感じて生きること。

何一つ、コントロールする必要はない、ということをこれでもかと教えられています。

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生きてるってことは

 

わたしの弱さが誰かの強さになり

誰かの傷がわたしの優しさになり

 

流した涙がいつしか勇気になり

苦しくて仕方がなかったことも深い感謝になる

 

生きているってことは変わり続けること

生きてるってことは回り続けること

 

変わり続けるからこそ希望が生まれる

回り続けるからこそ愛が生まれる

 

悲しみも絶望も苦しさも恐怖も

大きないのちの循環に溶けていく

 

 

この宇宙の豊かさは

そうやって変わり続け回り続けるすべてが

ここにあるということ

 

生きてるってことは

そんな豊かさの一部であるということ

 

だから

安心して泣けばいい

安心して負けてしまえばいい

安心して嘆き、悲嘆し、そしてまた笑えばいい

そうやっていつでも

安心してわたしであればいい

 

 

 

 

 

 

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shanti House 地球家族

 

この世界はまるで一つの家族のようなもの。同じ地球という家に住んでいるわたしたち。

暖かくてありのままで、いつもここにあってくれる居場所、それが平和な地球そのもの。

シャンティハウスという活動を始めた時にイメージした世界です。

2014年当時の私には、それは目標のように感じたけれど、いつのまにか私の中では実現していました。

それは私の、この世界を見る目、いのちへの感じ方が変わっていったからです。

自分がそのままであることを許せたら、お互いに、そのままであることを許しあうことができると知れたからです。

 

自分であることを許すって、ただ自分の心が喜ぶように生きるってことだと思うんです。

私は本当に様々な経験を経て今ようやく、生まれて来て一番好きなこと、いのちを費やしたいこと、シャンティハウスの活動をすることができています。

好きなことだから、湧き上がって来て止められない想いがあるから、許そうなんて考える前に心が前へ前へと進んでいくのです。

 

思ったことを話そうとすると人の前でも涙が流れるし、カタチにしようとしてもできないこともたくさんあって、ちっともかっこよくないし、助けてもらうことばかりだったりするけれど、

それでもやりたいことだから、気がつけば、うまくやれるか、どう思われるか、という葛藤や不安の方がそのやりたいという想いの中に溶けていってしまう。

そんなデコボコな私そのものが豊かなことだと思うようになりました。

セッションやお話会で感じることはいつもそうで、最初は緊張、でも始めると楽しくて幸せで仕方ないんです。

いのちって輝かせるためにあるんだよ、あなたはそのままでいるから素晴らしいんだよって、伝えたくて伝えたくて、笑。

 

私のこれからの活動は、きっと、この地球家族がもともとの一つに戻っていくお手伝いなのかなって思います。

そういえば、その言葉が何度も聞こえてシャンティハウスを立ち上げたんでした、今思い出しました、笑。

 

それは、みんなが同じ思想を持ち同じ生き方をすることとは正反対、一人一人が違う、色とりどりのいのちだと気づくこと。

それに気づいてさえいれば、同じ一つの家に住んでても私たちは幸せなんだ。

そうしたら、もうどこにも逃げていかなくてもいい、誰からも何も奪わなくてもいい、正しさを主張し合わなくてもいい、

ただ今ここで幸せに生きることは、とってもシンプルなこと。

 

あるがままの、わたしといういのちを生きよう。

このいのちを愛して慈しんで生きよう。

いつかではなくて、今好きなことをして生きよう。

もし探しているなら、素直に自分をさらけ出して願おう。

笑って、泣いて、また笑って生きよう。

 

生きているって苦しいけど、やっぱり生まれて来てよかったなって今心から思っています。

地球家族のあなた、そこにいてくれて、ありがとうございます♡